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白秋のふる里・水郷柳川

詩人白秋のふる里として知られる柳川は遠い昔から築かれた独特な風土が今なお、まちにいきづいています。文人達が愛し、集まったこのまちは、城下町の歴史情緒あふれる深い魅力に満ちています。水郷の趣には人間の感性をくすぐる何かをみつけることができることでしょう。

柳川衛星写真

■北原 白秋■
日本の近代文学に偉大な足跡を残した詩人。柳川で生まれ「からたちの花」、「ペチカ」など多くの名作を残し彼は生涯柳川のまちをこよなく愛し、「思ひ出」、「水の構図」など柳川の風景をつづった詩集が多く残されています。現在柳川にこの白秋の遺品や原稿を展示・公開している白秋生家・白秋記念館があります。

北原白秋白秋生家


■城下町■
関ヶ原の戦いの後、柳川を治めた田中吉政公は掘割の整備、天守閣の建造・道路の整備等多くの業績をのこしました。その後、立花宗茂公が再び柳川城主となり明治維新まで藩政はつづき柳川は城下町として栄え、情緒ある町並や文化を作り上げ今日でもその軌跡をお楽しみいただけます。重要文化財の遺品等が展示されている「御花」も柳川の町並の代表格のひとつとして親しまれています。

御花

■川下り■
柳川の掘割の総延長は実に470km。しだれ柳が緑の影を落とし水面には花菖蒲が咲き乱れる掘割。そして城内の静かな城下町を下るドンコ船。今では年間100万人の観光客の方が訪れ、柳川の川下りが観光名所となるほどの脚光をあびる掘割となりました。

水郷柳川川下り川下り

職人こだわりのうなぎ

柳川鰻遊乃庄(やながわまんゆうのしょう)


■福岡県柳川市から職人技・こだわりをお届けします。■
水郷柳川川下り水郷、川下り、北原白秋のふるさとで有名な福岡県柳川市。この街でもう一つ忘れてならないのが『うなぎ料理』です。柳川のうなぎには、職人の熱い思いが込められています。 うなぎに生涯を費やすこの道23年の職人の「こだわりうなぎ」のご案内です。


■原料・自分の目と足で探した納得のうなぎ■
うなぎの養殖所熊本・鹿児島・宮崎・徳島まで足を伸ばし,自分の目で確かめ納得した生産者のうなぎだけを仕入れています。それぞれの池の水質、うなぎ に与えるエサの内容、抗生物質をはじめとする薬剤投与の有無等の全てを把握しています。その極上うなぎ は弾力があり、美味しい脂が程よくのり、繊維が細かく柔らかいのが特徴です。高品質の国産のアンギラジャポニカ種のみを使用し、定期的に安全検査を行っています。食べ物の安全性・安心は美味しさと同じくらい重要と職人は言い切ります。


■水の驚異的!ミネラル豊富な地下水■
たてこみ入荷したうなぎ は身を締めるため、まず専用の桶に移し、その桶を幾段かに重ね、 2mほどの高さから水を流し”たてこんで”いきます。この作業を3〜7日間繰り返しますが、ただ単に水を流せばよいわけではありません。水質や流す水の強弱でうなぎ の味が変化するからです。また使用する地下水が驚くほどのパワーを秘めています。ミネラル豊富な地下水で、 うなぎはエサなしでも何と一年半も生き続けるそうです。地下水のパワーと職人の長年の経験とこだわりで、うなぎは益々美味しくなります。


■焼き・うなぎの旨味を最大限に引き出す■
うなぎ焼き一匹一匹うなぎの状態が違うため、職人は裂き方も焼き方も一匹一匹かえています。まさに匠の技と呼べるものです。焼きの最大の特徴は、焼きを強くして身をちぢませることです。その様は50cmのうなぎ が30cmまで縮むほどで、うなぎ の旨みがすべて、縮んだ身に凝縮していきます。またこれには皮と身の間にある独特の臭みを消すという効果もあります。備長炭の上に落ちていく脂は、ジュッという音とともに燻煙を発し、再びうなぎ に絡みつき食欲をそそる香りになります。この技は、まさにうなぎの味を最大限に引き出す焼き方なのです。


■炭・備長炭の完全手焼きにこだわる■
備長炭ガス火ではなく、高品質のウメバガシの備長炭を使用します。備長炭で焼くと、ソフトな炎がタンパク質の分解を防ぎ、美味しくするためのアミノ酸の形成、さらに遠赤外線効果で食欲を誘うグルタミン酸を増加させるため、美味しくなるのだといわれています。当店は、備長炭の完全手焼きにこだわり、もしこれが出来ないようであれば、この仕事を辞めるという強い覚悟を持っています。お客様に美味しい・本物のうなぎ を食べて欲しいと本当に心から願うからです。


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うなぎについて

うなぎ蒲焼

【うなぎ食の歴史】

うなぎの食文化は縄文遺跡から鰻の料理後が発見され、万葉集に歌われるほど日本では昔からウナギを食べていました。うなぎ蒲焼を食べるという習慣が定着したのは、江戸時代中後期になってからだと言われています。


【関東・関西のうなぎの開き方の違い】

関東流は背裂き、関西流は腹裂きにします。これは武士の多かった江戸では腹を裂くのを嫌った事に由来ているそうです。また関東では焼きの前に蒸しを入れるのが一般的ですが関西流は直接焼きます。柳川では背開きが主流で蒸しません。一般的に蒸しを入れないことで濃厚な味になります。

【日本のうなぎについて】

世界には18種類のうなぎが生息しております。日本にはニホンウナギ(アンギラ・ジャポニカ種)とオオウナギが生息しています。オオウナギは食用には向きません。ここで皆さんに覚えていただきたいのはヨーロッパウナギ(アンギラアンギラ種)です。
これは最近よくスーパーで見かけるようになりました。おもに中国・台湾で養殖され、このアンギラ種のおかげで安いウナギがたくさん売られるようになりました。

『アンギラジャポニカ種』

目が小さく細身で尾びれの周囲に黒い線があるのが特徴です。

『アンギラアンギラ種』

ジャポニカ種に比べ目が大きく、少し短く、ずんぐりしています。

味はジャポニカ種と比較すると少し脂っこいようです。

【土用丑の日の由来】

『土用の丑の日とは??』

土用とは古代中国で考え出された思想の陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)に基づき割り当てられた期間です。五行(木火土金水)の五時(春・夏・土用・秋・冬)を四季に割り当てた期間で、立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれ前十八〜十九日間(各季節の終り)があり、土用は四季の間にあってその生成を助けるものと考えられています。年間に四回あり相生(そうじょう)の火生土(かしょうど)の関係で夏の土用が特に注目されています。
丑とは年・月・日・時の順序を示すための符号で十二支の二番目ことです。丑が十八〜十九日間内で先に来ると二の丑があります。曜日と同じで十二支の順番が変わることはありません。

『土用になぜ、うなぎを食べるようになったのか??』

土用の丑の日にうなぎを食べるという習慣が定着したのは、江戸時代中後期になってから。売り上げ不振に悩んだうなぎ屋から、相談を受けた平賀源内が「今日は土用の丑の日」と書いた張り紙を出して宣伝し繁盛したそうです。

平賀源内(ひらが げんない)
1728〜1779(享保13〜安永8)江戸中後期の本草学者、蘭学者、(医者)、作家、発明家